JBBA NEWS
2025年4月号(VOL.627)

最新の第364便は「マサトノコドク」烏森発牧場行き
吉川 良/よしかわ まこと
かみさんに線香をあげにきてくれた客が帰ったあと、ひとりになって静寂とつきあううち、スマホに聞こえた正人の泣きそうな声がよみがえってきて、マサトノコドクという別名を思ううち、正人とのつきあいをふりかえりたくなった。そう、昔、私は横浜の孤児院に月に2度、冗談を語りに行っていたのだ。その養護施設に、どうして私が行くようになったのか、それも思いだしたくなってくる。私は50歳ごろから10年ほど、「はたらきながら学ぼう」という文章教室の夜間学校の講師をしていた。新日本文学会という文学運動体の運営で、中野や千葉や浦和や横浜に講座があり、私は浦和と横浜で生徒と向きあった。(中略) 月日が流れ、中学校を卒業して植木職人の家に住み込んだ正人が20歳になった時、私は競馬場に誘った。東京競馬場のパドックを馬たちが歩いているのを、おれと正人は見ていた。「おれ、こうして馬を見ていると、ときどき、馬って孤独だよなあと思うんだ。で、人間だって、その人その人の孤独を持ちながら暮らしてる。馬と、なんだか共感するんだよなあ」「ああ、馬も、そうか、孤独なんだ」と正人が私の顔を見た。その時のこと、その時の正人の、なんだか驚いたような顔を私はおぼえている。(略)
第169回は「背景」第5コーナー ~競馬余話~
有吉 正徳/ありよし まさのり
ピコチャンブラックは24年7月に福島でデビューした。スタートから先頭に立つと芝2000メートルを逃げ切り勝ち。上がり3ハロン35秒0、最後の1ハロン11秒3という末脚で2着に7馬身差をつけた。2戦目は10月のアイビーS(東京、芝1800メートル)。のちに重賞勝ちをするマスカレードボールに1馬身1/2差をつけられて2着になった。3戦目が暮れのGIホープフルS(中山、芝2000メートル)だった。序盤は3番手を走っていたが、外側から何度も競りかけられる厳しい展開が応えたのか13着と大敗した。スプリングSは3か月ぶりの3歳初戦だった。12頭立ての9番枠からスタートすると4番手につけて2コーナーを回った。向こう正面の後半でキングスコールがまくって来ると、これに合わせてスパート開始。3コーナーで先頭に立つ強気の競馬でそのままゴールまで押し切った。2着フクノブルーレイクとはクビ差だったが、長くいい脚を使ったピコチャンブラックのスタミナが目立つ一戦となったと筆者。
第4回は『ティエポロ(ITY)』JBBAスタリオンズ名鑑 ~歴史を紡いだ種牡馬たち~
山田 康文/やまだ やすふみ
今回紹介するティエポロ(ITY)が日本中央競馬会によって輸入されたのは1961(昭和36)年。その時代は1958(昭和33)年に初年度産駒をデビューさせたゲイタイム、1959(昭和34)年から産駒を送り出したヒンドスタンの産駒が大活躍し、さらに1960(昭和35)年はハロウェー産駒の3歳牝馬スターロッチが有馬記念に勝って最優秀3歳牝馬に選出されているという中での輸入だった。折からの外国産種牡馬ブームによって初年度から44頭の繁殖牝馬を集めて順調な滑り出しを見せたが、幸か不幸か先輩種牡馬たちは凄かった。ゲイタイムは1961(昭和36)年のダービー2着、菊花賞2着メジロオー、1962(昭和37)年のダービー馬フェアーウィン、1963(昭和38)年の2冠メイズイを送り、1961(昭和36)年春の桜花賞、皐月賞、ダービー、そして天皇賞(春)はヒンドスタン産駒が勝利。1962(昭和37)年の桜花賞、オークスも同馬産駒によるものだった。そしてハロウェーも絶え間なく活躍馬を送り続けたため、ティエポロがそれらの陰に隠れるようになってしまったのは少々残念だったと筆者。
第196回は『七戸種馬場の種牡馬展示会 PART Ⅰ』北海道馬産地ファイターズ
村本 浩平/むらもと こうへい
青森は北海道とは海を隔てただけなのに、様々な文化の違いがある。個人的には食文化の違いについて、自分の舌と胃袋を使ってフィールドワークを行っているのだが(笑)、馬文化もまた、北海道の生産地を取材してきた立場からすると、大きな違いがあった。今では規模を縮小しつつある、青森を含めた東北の生産地であるが、馬産としては東北の方が歴史があり、その昔は北海道よりも馬産地として栄えていた時期もあった。初めて取材で青森に訪れた約20年前、松橋さんと共に八戸近郊の牧場を訪ねた。その頃ですら、牧場内には使っていない放牧地や、厩舎が見受けられた。その一方で立派な建物の作りからは、改めてここで培われてきた馬産の歴史が感じられたと筆者。
第196回は『春は別れの季節』馬ミシュラン
小山内 完友/おさない ひろとも
“Mr. PINK”こと内田利雄騎手が3月末をもって現役を引退、地方競馬全国協会参与(マイスター職)に就任することが発表された。軽くプロフィールを紹介すると、内田利雄騎手は1961年10月5日、埼玉県出身の63歳。川口オートの選手だった父の知り合いの紹介で騎手を目指し、1978年10月7日、宇都宮競馬場でデビュー。8Rのタサハヤテに騎乗し2着だった。初勝利は翌日8日の1Rをゴールショウリで勝ち初勝利をあげる。以来46年で地方競馬通算26,021戦3,613勝、重賞80勝。中央競馬で47戦3勝、重賞1勝。海外でもマカオ、韓国などで158勝、重賞3勝の成績をあげている。ベラミロード(00年東京盃、01年TCK女王盃)やブライアンズロマン(98年さくらんぼ記念)、またカッツミーで02年ラジオたんぱ賞に勝っていると筆者。
協会会議
・2025年(令和7)年度通常総会
・河野会長挨拶(要旨)
トピックス
・JBBA2024年度(第46期)生産育成技術者研修修了式
・オーストラリア研修記②
・「軽種馬生産に関するアンケート調査(預託料)」の実施について
・JRAからのお知らせ
JRA生産者賞 2025年度からの変更点(2点)のご案内
生産対策関連
・2歳未売却馬実態調査(2023年生産馬)
種牡馬事業
・STALLION NEWS ARCHIVE(スタリオンニュース・アーカイヴ)
海外情報
2025 | 北米 供用種牡馬 TOP48(種付料順) |
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2025 | 北米 初供用種牡馬 TOP19(種付料順) |
2025 | ヨーロッパ 供用種牡馬 TOP38(種付料順) |
2025 | ヨーロッパ 初供用種牡馬 TOP15(種付料順) |
地方競馬ニュース
・2024年地方競馬開催の概況(1月~12月)
・第26回JBCは金沢競馬場と門別競馬場で開催
・2025年度ホッカイドウ競馬スタリオンシリーズ競走は52競走
・2025年度ホッカイドウ競馬重賞競走日程
・2025年度ホッカイドウ競馬副賞計画
・2025年2月 地方競馬場の売り上げ
生産関連ランキング
・2025年3月各種ランキング
From 競走馬のふるさと案内所・連絡センター
レポート(日高案内所・東北連絡センター)
The First Win
JBBA 会員生産の初勝利馬一覧(2025.2.18 ~ 2025.3.22)
表紙
・第43回中山牝馬S(GⅢ)優勝 シランケド
・2025千葉サラブレッドセールポスター
・2025 北海道市場ポスター
カラーグラビア
・JBBA種牡馬シャープアステカ(USA)本邦初年度産駒が続々と誕生!
・JBIS ライブ中継 JRAブリーズアップセール
・JBIS せりカタログをスマホで持ち歩こう!
JAIRSコーナー((公財)ジャパン・スタッドブック・インターナショナルコーナー)etc
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